木村英輝

数々の著名人からから絶大な支持をうける伝説の絵師 その仕事の極意とは?木村英輝さんインタビュー

interviewer:Reborn


──今日は京都に出張に来ました。以前よりこの方は是非紹介したいと思っていた、激レア中の激レア、真打ち登場ってことで、木村英輝(きむらひでき)さんです。
木村さんは私がご紹介するまでもないですが、どのように紹介するか難しい方でして、プロデューサーであり、画家であり、イベンターであり、教授であり、とにかく今まで色んなことをやって来られたんですが、一番有名なところでいうと今お邪魔している、キーヤンスタジオで壁画を描いていらして、私もこの壁画の制作に何度か立ち会わせて頂いているのですが、今日は改めてキーヤンのお話を聞いてみようかなと。

シンプルで、イージーで、フリー、依頼者がない限りは描かない

──ここはいつも作業していらっしゃる場所ですか?

下にスタジオがあって、ここは集まって色々話ししたりアイデア出し合ったりするところ。

──現在はコロナ渦ですけれど、壁画を描く仕事もストップしてますか?

そうですね。良かったのは東京近辺に依頼者がいるんですけど、延ばしてもらっている間に今までやったことない、自分のための絵を描くことができるから、コロナで幸いしてるんです。(笑)

Ki-Yan Stuzio 祇園本店

──この間も、そういう活動なさってるんですね。
京都は八坂神社の前にもショップがありますし、至るところにキーヤンの壁画がありますが、京都では何箇所くらいあるんですか?

屏風とか襖とか壁画とか色々なので数はハッキリとはわからないですが、40箇所くらいあると思います。

──40箇所ですか。凄いですね。
一番最初に壁画を書かれたのは何ですか?

The River Oriental Hotel 壁画

一番最初は、ザ・リバー・オリエンタルという店があって、その店に描きました。私は単純で、「オリエンタル」っていうから象を描こうとなって(笑)。象を端に描きました。
それがすごく皆さんから反応があって、それから壁画を描くようになった。

── なるほど。
はじめのモチーフは動物だったんですね。

そうね。わかりやすい絵を描こうと思って、出来るだけ解りやすく、ストレートで、シンプルで、イージーで、フリーというのをテーマに描こうと思って。ですからリバー・オリエントやから「象(エレファント)」ってね。そんな発想でした。

──壁画のモチーフはリクエストですか?こんなのを描いてくださいって?

こんなもの描いてくださいっていうのも大丈夫で、どっちでも。必ずコレでないとダメとは思ってへん。

──以前、キーヤンがおっしゃてた事で、自分は作家というよりも職人やと。オーダーされてから、その意思で描くという。

そう。普通は絵を描いてる人は在庫をたくさん持ってるでしょう、自分の絵を。私は一切ないんです。ここにあるのが在庫かもわからんけど、こういう物しかないねん。
だから依頼された物しか描いてない。

──それがポリシーですね。

依頼者がない限りは描かない。
展覧会に出したりしようとか思わなくて、審査員より私の方が歳上の場合が多いし。自分で街に絵を描いて、その絵がそのままTシャツになったりするんです。

──これもそうですね。

普通は賞を貰ったりして有名になるけど、一切そういうことはしてない。

── 二科展とかそういうの、全く縁がないんですね。

そうです。

──キーヤンはルネッサンスの時代の画家と一緒で、要するに依頼があって描くということですよね。

埼玉県桶川市 おかもと腎クリニック

例えばアンディ・ウォーホールなんかわね、大好きな作家やけど彼もなんやかんや言うても、画廊で名前が売れて、それで値段が上がっていったって言う訳でしょう。
折角ポップアーティストって言うてんやから、街で売った方が良いんやけどなぁって思う。新しいアートやけど、流通は昔ながらの流通に乗っかってる。彼の作品がオークションで何千万とかなるけど、私のもそうなるかも知れんけど、一切そう言う(オークション的な)やり方はしていない。

──そうですね。
だからキーヤンのアートに対する考え方は、ある意味画期的と言うか、逆に新しいと言う事ですね。

大学時代にデザイン科だったんですよ。
だからデザインをやっているつもりなんです。日本のアートの世界ではデザインよりも純粋アートの世界が上で、デザインというのは商業主義で非常に軟弱やと解釈されるけど、実際にはデザインは、映像業界と一緒でしょう。昔の宗逹だとか光琳とかを見てると皆デザインしてますよね。海外の人は私の絵を見て凄いデザインやと言うてくれるけど、日本人は私の絵を見てデザインって言わず、ランク落としてるみたいに勝手に解釈してる。私はデザイナーと呼ばれて嬉しい。

──そうですね、確かにおっしゃるようにデザインとしてインパクトのある絵が多いですよね。

みんなデザインしてるんです。

──壁画やったら、まずその壁画にあったデザインを考える訳ですね。

そうそう。

ロック黎明期の京都の音楽シーンを牽引

──なるほど、そういうことですね。
キーヤンは壁画制作をお仕事にされてますが、元々は色んな人との交流があって、例えばザ・タイガースや内田裕也さんとか樹木希林さんとか、我々の業界でいうと通称サリーこと岸部一徳さんやジュリーさんとかとも。
元々は音楽業界にいらしたんですか?

ではないんです。
私は1965年くらいに大学の講師をしていて、その時は殆ど70年安保の時代、ベ平連の時代で大学が閉鎖されていた。
それで学生と一緒に街に出て何かやろうといって、やったのがロックコンサートに繋がっていった。

──MOJOですね。

要するに、電気楽器でやるから何よりもインパクトがあって結局はロックグループが一番目立った。元々はロックコンサートをしようとした訳じゃなくて、色んな人を集めて色んなパフォーマンスをやったんですけど、ロックだけが目立ってしまった。日本ではロックフェスティバルが無かったから、当時は盆踊りしかなかったから(笑)それに代わる若い人たちの盆踊りみたいに盛り上がった。

──当時の京都では画期的なイベントでしたね。

そうです。
それは西部講堂という京大の治外法権でやり出して、そこへ皆が集まって来るようになった。

──そこに色んな才能が集まって来た。

そうですね。
それは、マディー・ウォーターズの叫んだI got my mojo walkingを使ってMOJOいう名前をそのままコンサートの名前に付けてやったんです。

──で、そこから今でも

拾得(じっとく)とかライブハウスとかに移行していった。

──アーティストはそれぞれデビューしていくんですね。

そうですね。

──キッカケかどうかわからないんですが、そこでデビューしたバンドの中にザ・タイガースっていうバンドがあったんですか?

タイガースはもうちょっと前なんです。
タイガースとフォークル(ザ・フォーク・クルセダーズ)はそれぞれヤマハ音楽フェスティバルで、ロックとフォークで優勝するんです。

──それでそういった人たちとの交流もあるんですね。
岸部さんとは、今でもお会いになると思うんですけど、本当にあの人は京都らしい人というか、自然体で、何ていうか、見識眼が高いというか、物事をよく知ってる人で、あの人を見ているとアーティストというか音楽人のしなやかさがありますよね。お会いするたびに思うんです。最近、お会いになりました?

この間、水谷豊さんと、美大出て役者なった人、丸坊主でスゴみのある…

──丸坊主でスゴみのある・・・六平(むさか)ですか!(六平直政)

そう、彼が僕の絵を見たいていうて、一徳と水谷豊が一緒に連れて来てくれて。

──六平(ろっぺい)ちゃんも、そう、絵描くんですよね。

彫刻やね、元々は。

──彼は以前、劇団にもいたんですよね。新宿梁山泊に。

僕の絵に興味があって一緒に来た。

──木村さんは舞台美術とかはやってらっしゃるんですか?

いやいや、やりたいけどやったことない。何でもやりたいですよ。別に拘ってない。

──でもそういうジャンルでもこれから需要があるはずです。
物凄くパワーのある壁画を沢山描いていらっしゃるんで、このパワーが舞台に。

やりたいね。舞台とか、活きているモノと一緒にやりたい。私のいつも考えている事ですね。一つの額縁に入って飾られるっていう風なことはしたくない。

──多分、このサイトで色んな作品も見れるようにしたいと思いますが、いま直近でやってらっしゃるお仕事は何ですか?

たまたまコロナで時間があったんで、以前から5年越しで依頼されていた仕事で、私が生まれた泉州の堺の向こうにある泉大津の街が、岸和田「だんじり」の街なんです。その街の人たちが私に描いて欲しいって、この機会しかないから描いたんですよ。
六曲一双の屏風を。

──是非、後で見せてください。
これを機にキーヤンの絵を、色んな場所でご観賞ください。
ミシュランガイド

今日もここへ来て稲荷寿司をご馳走になったんですけど、来たら周りに人がいてキーヤンはやっぱり人を惹きつける才能があるなぁっと改めて思いました。さっきあの素晴らしい演奏のチャップマン・スティックの演奏者の方とか、コンテポラリー・ダンスの日置さんとか色んな人がキーヤンのとこに集まって来るんで、京都来る度に、ここで色んな人に出会えるが楽しいです。やっぱりそれってキーヤンの才能と云うか、常にそういう思考っていうか、人を集めてまた何かを生み出そうと思ってるんですか?

そう。今年はコロナでやれてないですけど、毎年、琳派ロックと云って色んなステージを皆んなで作って来たんですよ、テレビとかそういうとこに登場しない面白いアートや人を集めてやっている。それと国際社会になればなる程、日本の足元に残っている色んな要素を表現できないかと思っていて、そういうことをやる人が集まって来ている。

木村英輝さん作品集。すべての作品集はこちらから

【木村英輝(きむらひでき)さんプロフィール】

1942年大阪泉大津市生まれ。
日本のロック黎明期にオルガナイザーとして国内アーティストのほかフランク・ザッパやジェフベックの京都公演など伝説的なイベントを多数プロデュース。還暦より絵師として活動し、手がけた壁画は国内外に200ヶ所を超える。

木村英輝オフィシャルサイト
https://ki-yan.com

BGM
「平安の都 京都」
琳派ロックオールスターズ

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