ルーツやアイデンティティ、韓国との関わりや将来的な構想について[後編]
interviewer:Reborn
──これは違うところからも聞いたんですけど、ニューヨークに渡った日本人たちが中心になって作ったドラマがあって。
あ、はい。
──そのドラマにも出てて?
はい。
──それはどういうドラマですか?
「報道バズ」っていう作品です。
──それはどういう経緯で作ったんですか?
それは向こうでオーディションが舞い込んできて受けたんですけど、インディー・ドラマです。日本のテレビ局とかが出資してたら出来ないようなテーマをガッツリやってる、メディアの嘘を追いかけろ、というタグラインが付いてるドラマなんですけど。
──“メディアの嘘を追いかけろ”いいですねぇ。なかなか日本では出来ない内容ですか?
出来ないと思いませんか?
──まぁ出来ないね(笑)そこがオモシロイけれども。だから、ああいうものをニューヨークにいる自分たちが作ろうというモチベーションが。やっぱり皆んなで話し合って決まったんですかね?それまでは舞台の活動をしてなかったのに、どういうキッカケで?
えーっと、脚本には僕は殆ど絡んでないんですけど、僕自身に充てて役を微調整してくれました。なんか英語ができない残念ハーフっていう(笑)
──出来るのに?
そう。出来るんだけれども(笑)自虐キャラで出演させていただきました。
でもすごく楽しかったですよ。
──そういう日本人コミュニティ、アーティスト同士のコミュニティってあるの?ニューヨークに。
ちっちゃいですけど、ありますね。
──ニューヨークに?ロスにも?
ロスにもあるんだと思うんですけど、僕はちょっとわからないですね。
──それも見れる?日本でも見れますよね?
日本でも見れますね。アマゾンプライムとかひかりTVとか他にも幾つかあるみたいです。
──私も見たら、知り合いが出ててビックリしました。
本田真帆ちゃん。
──そう。真帆ちゃん出ててビックリしました。
教え子でしたっけ。
──まぁそうなんですけど。世界は狭いなって。
そういったことで、これからもニューヨークで舞台以外の活動もやってみようという?
僕は多分同時並行で、舞台と映像は両方推してるんですけど、やっぱり自分の技術力の面で言ったら舞台の方が受かりやすいから、舞台の作品がまだ沢山入ってるのかなって。映像の方は舞台より後に始めた媒体なので、まぁリールも短いし、これからだと思うんですけど、引き続きそこは。
──せっかく日本に滞在してるし、日本でも何か仕事して欲しいです。日本でも何かあるんですか?
未発表の舞台が次にあるかも知れない。ただ…
──コロナ渦でどうなるかわからない?
あったとしても50%キャパ、プラス配信っていうやり方になるかも知れませんね。
祖父はドキュメンタリストで作家?
──すごくまぁ今は不確定要素がたくさんありますから。
もうひとつ、これは辛くんの活動のことと違うんですが、興味があるのは辛くんのおじいちゃん、って方を私は存じ上げていて、生前お会いしたこともあるんですが、おじいちゃんはドキュメンタリストでもあって、作家でもいらっしゃって、特に朝鮮通信使の研究者で、第一人者。私も本も読んで感銘を受けたことがあるんですが、おじいちゃんとの記憶ってありますか?
おじいちゃんですか?おじいちゃんはお酒が大好きで、酒を飲んでないときは書斎に篭って原稿用紙に執筆している人でした。すごく大らかな人で、朝鮮通信使ゆかりの地が日本全国にあるんですけども。
朝鮮通信使は、江戸時代に日本に将軍が変わるごとに使節団があって、日本と韓国の友好の歴史なんですが、これが歴史上の経緯で1回教科書から全部消されて、そのことがあまり知られてなかったのをおじいちゃんが日本全国を回って、資料を集めてその歴史上の出来事をもう一度掘り起こして本を書いて、もう1回教科書に載ったという。
──それを映像ドキュメンタリーにしてね。
その記録映画をご覧になられたんですね?
──はい、そうです。
その朝鮮通信使ゆかりの地で再現行列とかがたまにあるんで、おじいちゃんにそういうところに連れて行かれたりしたっていう記憶はありますね。
──いやぁ、あの素晴らしいお仕事をなさった。その辛基秀さんがお書きになった本を今日僕、辛くんと会うってことでまた読んで来たんですけども。
あ、そうなんですか?
──ええ、そしたらタイトル自体が「アリラン峠を越えて 在日から国際化を問う」という本があって、辛基秀さんが今の辛くんの活躍を見たら本当に自分が書いた本の通りになってるなって思って。
あ、そうですか?
──そう、感じられてるんじゃないかなって思って。どうしても今日辛基秀さんのためにその話をしようと思ったんですよね。
多分聞いてくれてると思いますよ。
──素晴らしい。予見してらしたんじゃないかなって。だからね、そういった縁があるんだなって思って。わかんないですけど辛くんの生き方が逆におじいちゃんが望んだ生き方でもあるのかなぁ、っ思ってね。
ありがとうございます。そんなこと言っていただいて。
──本当にそうだと思うんですよね。
いや、それに応えられるかどうか。(笑)
──でも今だからこそ読む価値があるんだと思うんですよね。
韓国は最近全然行ってないんですか?
全然行ってないですね。
──でも何年前かな?辛基秀さんのお作りになったドキュメンタリーとか映像とかが、韓国の映像資料院にいま入ったんですよね?
ちょっと詳しいことはわからないんですけど、母が、おじいちゃんの娘の母が映画祭を開催するようなプロジェクトを韓国でしばらく進めていて、そのお陰で、韓国側で3−4年前に盛り上がっていたみたいです。
──上映会もあったみたいですよ。あったし、それを見た人から何人か聞きました。だからやっぱりやって来られた仕事がすごく韓国でも評価されてるんだなって、嬉しかったですけどね。
嬉しいですね。やっぱり知ってもらえないと意味がないですからね。
──ね。韓国に行ったら偉そうに自分のおじいちゃんの、映像資料院に行ってそこにサインしてきたらいいと思うんですよね。(笑)
このハーフ顔の人が?みたいな(笑)
──え?って。
韓国語喋った時点でビックリされますからね。
──そうですよね。韓国語も喋るからね、素晴らしい事だ。
韓国でもミュージカルの仕事ができるね。
いやー、どうなんですかね?向こうのプロデューサーに話したことがあって、あの歌いっぱなしの作品、セリフを言わなくていい作品ならイケるんじゃないって言われました。
──あー、なる程。
「グリース」とか。
──「グリース」とか、なる程ねぇ(笑)
「グリース」とか、「レント」とか。でも韓国人はまた歌上手いじゃないですか。
──上手いよねぇ。
だから競争率が全然違うかも知れません。(笑)
ブロードウェイに出ることができたら可能性があるかも知れません。
──逆輸入でね。
あるかも知れない。でも韓国もそういったマルチアイデンティティを持った人がいっぱいいるし、どんどん増えてる。
だから日本も韓国もそういった時代になって来て、そういった人たちに沢山チャンスがあるような気がしますけどね。
韓国エンタメ業界の躍進の秘密はなんだと思われますか?

──“躍進の秘密”―秘密だからよくわかんないんだけど。でも韓国はこの20年間ですごい勢いで伸びていますもんね、映画も演劇も、まぁミュージカルもね。
本当に才能があるんですね、皆さん。
日本も盛り上げたいですね。
──そうねぇ、日本も負けずと頑張らないといけないですよね。
でもそうねぇ、これから辛くん自体、どんどん色んなタイトル出て行くんでしょうけど、将来、ここ1、2年じゃなくて、例えば10年とか20年とか考えた先は自分のどういう姿を連想してますか?
自分の企画を大きい規模で出来るように、クリエイティブをする上で自分の自由をあんまり犠牲にしないで、面白い作品を作りたいと思います。
──それは企画をするとか?
ミュージカルでも映像ものでもそうですし、多分、なんかそれを探りながら生きてるっていうのもあると思うんで、正直10年後にコレっていうのは決めてはいないんですけど、方向性は決めてます。今のまんま。
多分今の生き方はリスクを度外視して生きてる感じがあって、お金もギリギリのこととかあるけど、そういうリスクを負った分、返ってきたら嬉しいな、と。その分、いい作品が作れる状態になっていたいなって、なんか素晴らしい人たちとコラボできるような。
漠然とは、僕の大まかな将来像としては、アメリカと日本の架け橋になりたいっていうのがあるんですよ。これはもう昔から決まっていて、だから言葉の壁とかそこはブリッジして、僕が作る作品とかじゃないかも知れないけれど、僕のおかげで誰かが繋がって良い作品が出来て、何らかの形で絡めて行けたら良いかな。
──ぜひ成功して欲しいですね。
ありがとうございます。
──では最後に一言アピールすることはないですか?
またどこかでお目にかかることがあるかも知れないのでその時は是非どうぞ宜しくお願いします。辛源でした。
【辛源さんプロフィール】
イギリスと在日コリアンの両親のもとロンドンで生まれる。
中高を神戸で過ごし、17 歳の時、1 年間韓国の高校へ留学。
2008 年東宝シアタークリエにてブロードウェイミュージカル「RENT」のエンジェル役として舞台デビュー。以来、日本オフィシャル公演版「ロッキーホラーショー」「Mitsuko~愛は国境を越えて~」「Dracula」「The Last Five Years」「BARE」、ピューリッツァー賞受賞作品「next to normal」等に出演。
2012 年ニューヨークの T. Schreiber Studio 正規課程を修了後、アーティストグリーンカードを取得。アメリカのドラマ「Unbreakable Kimmy Schmidt」や「報道バズ」、舞台ではニューヨークフリンジフェスティバル、「Miss Saigon」「The History Boys」「Monte Cristo」、ワークショップ公演では「Other World」「Hold On」「Kpop」「Maybe Happy Ending」等、コンサートでは、「54 Below」「Joe’s Pub」「8-Bit Big Band (SONYホール)」などに出演した。
その他SAMSUNG、Estée Lauder、Burlington Coat Factory、SONY、 ABC-マート、アサヒ、グリコ等の TVCM に出演。TV JAPAN の北米向け情報番組「TV JAPAN CLUB」のメインキャスターや日系コメディーショー「BATSU!」の司会を務め、BWAYミュージカル「アリージャンス」の映画版の翻訳・字幕も手がけている。早稲田大学卒。
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